交戦国が国際法上有する種々の権利である「交戦権」には、中立国船舶の臨検、敵性船舶の拿捕なども含まれています。
これらを行えないということは、自衛権の行使を大きく制限することになるし、様々な不都合が生まれると思います。
また、1946年第90回帝国議会において、金森国務大臣は、交戦権を放棄するということは、「捕虜などと言うことも
起こって来ない」と答弁しています。
交戦権、すなわち、交戦国が国際法上有する種々の権利には、捕虜として扱われる権利も含まれているのではないですか?
そのような権利を否認した国は、私は日本以外に知りません。
<昭和29年5月25日佐藤法制局長答弁>
「交戦権というものは、敵性船舶の拿捕とか占領地の行政権であるとかいうことが憲法制定時から答弁に出ているわけです。一方自衛権は国の基本的生存維持の権利ですから当然ゆるされる。しかし交戦権をもつということになると敵が攻めてきた場合、ずっと敵を攻めていって将来の禍根を絶つためにもう本国までも全部やっつけてしまうことがゆるされるであろう。しかしそれは許されない。あくまでも自衛権の範囲でしかいわゆる害敵行為というものはできない」(要約は犬塚)
ご指摘の秋山政府委員が使っている「伝統的な戦時国際法」というのは、開戦宣言等により、戦争が法的に発生するに及んで平時国際法に代わって適用されるもので、戦争違法化以前の概念です。しかしそうはいっても集団安全保障体制内の軍事強制措置が相手の強い抵抗にあえば戦争同様の状態になります。集団安全保障固有の慣行も立法もないところから、戦争違法化以後を想定した話でも従来の戦時国際法を準用するほかないようです。
また、九条2項の「交戦権」はThe right of belligerencyの訳のようですが、英語のbelligerencyの訳は「交戦団体」になります。(国際関係法辞典P.242)。これでいくと直訳は「交戦団体としての権利」です。これは内戦の際、叛徒の軍隊が国内の一定地域を占拠し、ここに事実上の政府を樹立するに至った場合、これに国際法の主体としての地位を認めることがあり、交戦団体の承認と呼ばれるようです。交戦団体を承認する制度は18世紀後半から19世紀初頭にかけて徐々に形成され南北戦争で確立したが、20世紀に入ってからこの制度はほとんど利用されなくなったとのこと。つまり戦争違法化以前のボキャブラリーである belligerencyを持ってきたために話がややこしくなった感があります。
また自衛隊員が仮にイラクで捕虜になった場合、ハーグ諸条約に定められた待遇を期待できるかという問題は、確かに理論的整合性がないので問題となりえる面はありますが、国際法廷などで審理されれば、国際人道法としての観点から、事実上保護を受けられるものと思います。
以降、Yahoo!掲示板のスレッドより
以降、Yahoo!掲示板のスレッドより
では、「紛争地域では活動せず、武力行使は行わず正当防衛としての武器使用のみ、武力行使と一体化しないなどの制約の下で活動しています。」という条件を撤廃するためには、憲法9条の変更が必要だと言うことですね。
自衛権発動としての武力行使であれば不要です。集団安全保障としてはUNEPSに個人参加をするわけですからこれも不要です。
この最後の部分、「九条を変えないからこそUNEPS創設の説得力を持つのが日本のユニークな立場であると確信して
います。」が納得できないです。なんか、UNEPS創設と9条維持を無理やりリンクさせているように感じます。
もちろん、9条を維持したまま、UNEPS創設を目指すことはできますが、9条を改正してもUNEPS創設を
目指すことはできるはずです。
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