まず、UNEPSが実現するのに、どれくらいの時間がかかるのか分かりません。よって、それが実現するまでの間は、日本は
国家の軍隊として自衛隊を派遣する必要があるわけです。そうである以上、交戦権の否認などがネックになるわけです
から、憲法9条の改正が必要です。
次に、UNEPSができたとしても、国連憲章7章に基づく制裁活動が、UNEPSとは別に存在し続けることが予想されます。
そうであるのなら、UNEPSができたからと言って、憲法9条を改正する必要がないということにはならないでしょう。
まず、自衛隊は交戦権を否認されているので武力の行使ができないのはご指摘の通りです。しかしこの条件は国連加盟国すべてにあてはまる条件でもあります。憲章第二条四項に「すべての加盟国は、その国際関係において、武力の行使または武力による威嚇を行ってはならない」と規定しており、国際法として受け入れられています。この国際的な規範としての武力行使違法化を阻却する2つの条件が「自衛権の行使」と「憲章7章下の集団安全保障」だけであることは前述しました。
この原則を自衛隊に当てはめるとどうなるでしょうか。
自衛隊が自衛権の発動とし武力行使を行うことは否定されていないことは1954年12月22日鳩山内閣の大村防衛庁長官答弁以来の一貫した我国の解釈であり、定着して久しい日本国民の理解です。国民に受け入れられない規範が52年間も一貫して主張されうるとは考えられないからです。つまり、①急迫不正の侵害があり②これを防ぐに他の適当な手段がなく③必要最小限の実力行使である場合の交戦権は、国際法におけるのと同じように日本国民にも認められているといって良いと思います。
次に、国際平和協力活動を行うにあたって自衛隊の交戦権が必要か、という問題です。
まず、「自衛隊による国際平和協力活動」の定義をしておきます。
NGO の活動とは違って、国際的には軍隊と認識されている武装集団が自衛隊ですから、この武装集団を外にだすとすれば国連安保理決議に基づいて派遣され、その交戦規定(ROE)は日本の法令に定めるところに従います。現在のところ、紛争地域では活動せず、武力行使は行わず正当防衛としての武器使用のみ、武力行使と一体化しないなどの制約の下で活動しています。こうした活動が合憲であることはいうまでもありません。将来的にある程度緩和されることは予想されますが、自衛権の発動以外で日本が武力行使をすることはありません。
2003年以来のイラク戦争では、米英の武力行使は直接的な国連憲章に基づいていないので日本は参加していません。その後の安保理決議1483に基づいた人道復興支援と安全確保をしているのが自衛隊ですから、武力行使はしないわけです。九条の範囲内での措置といえます。
しかし、多分ご指摘になっているのは、2000年の湾岸戦争のような憲章7章下の集団安全保障で武力の行使が認められる時にも、日本は参加しないかという問題だと思います。国際法上は認められる武力行使であり強く貢献がもとめられた事態でした。この時に資金の供与だけを行い、軍隊を派遣しなかった日本とドイツが国際社会の強い反発をうけたことは記憶に新しいところです。「普通の国」であれば軍隊を外に出す場面でしょう。
イラクによるクウェート侵略という事態で安保理決議が得られましたが、アメリカによるイラク侵略はどうでしょうか。イスラエルによるレバノン侵略、ソ連によるアフガン侵略、中国によるチベット侵略はどうなるのか。残念ながら安保理は常任理事国の意に反して、あるいはその利益に反しては決議採択はできません。なぜなら、これが国連集団安全保障の限界だからです。この限界を超えるのがUNEPS、つまり個人参加の国連緊急平和サービスであるといえます。
九条を変えないからこそUNEPS創設の説得力を持つのが日本のユニークな立場であると確信しています。
また、日米同盟に基づく集団的自衛権の行使は、UNEPSの活動とは異なりますし、憲法9条を改正する理由は、国際貢献のためだけで
はないので、ますます、UNEPS創設と憲法9条改正は別次元の話と考えます。
集団的自衛権は個別的自衛権と並んで国連加盟国の「固有の権利」です。自らが攻撃されていないにもかかわらず攻撃主体たる他国に反撃することができるもので、国連憲章51条で創設された権利です。日米同盟に基づく集団的自衛権の行使がこの範疇に入ることはいうまでもありませんし、国際法上の権利であるわけです。ですからその行使は「安保理が国際の平和および安全の維持に必要な措置をとるまでの間」に限られますし、安保理に対する事後報告も義務付けられています。報告がないものはイラク戦争のように自衛権の行使とは認められません。つまり(個別的・集団的)自衛権の行使といえども「機能する国連」と密接に関連しています。
軍事同盟を結んで集団的自衛権の行使は許されますが、集団的・個別的自衛権行使の適法性は、加盟国が自由に解釈できるものでもなく、主権的行為としてまったく自由なものでもありません。その適法性が第三者機関によって判断されうるというニュールンベルク裁判の法理と軌を一にするもの(国際関係法辞典・国際法学会編、PP.453-4)とされています。勝者による事後法による裁きであったとはいえ、そうした法理に基づいて東京裁判で日本が侵略の罪に問われたといえます。
余談になりますが、ICC国際刑事裁判所条約を批准した日本が、2009年以降に行われるローマ規定見直し会議で「侵略の定義」を議論することは歴史的な意義があると思います。それは、東京裁判からICCへと続く国際的な法の支配に貢献するだけでなく、国連安保理の専権であるどんな場合が「平和の破壊」「平和にたいする脅威」「侵略」にあたるかという判断を、より中立・公平な機関にゆだねるチャンスだからです。
以上、集団的自衛権が国連憲章で規定された国際法上の権利であるだけに、なおさらその行使の前提は「機能する国連」であること、そして「機能する国連」創設のためには、なんとしても個人参加の緊急平和サービスが必要であると考えています。
それと、大国の息のかかった地域に、UNEPSが軍事介入することは、困難ではないでしょうか。
大国の息のかかった地域にUNEPSが軍事介入できるか、というのは大事な問題点です。
9.11 後のアフガニスタンやイラクにUNEPSが展開できたかどうか、難しいものがあると思います。一方、大国が興味を示さなかった1994年のルワンダには派遣できたでしょう。というのもUNEPSが大国の軍事力と比べて話にならない位小さなものからのスタートしなければならないからです。
しかし、どんな超大国でも国際法上疑義のある大規模な軍事介入を行えば、最後は収拾がつかなくなります。結局は貧困対策、インフラ整備、医療、食料、学校の整備、司法制度の構築等を行わなければならず、軍事力だけで解決できないことは、2007年1月に発表されたブッシュ大統領の「新イラク戦略」でも認めざるを得ないところにきています。あらゆるプロフェッショナルを即応体制下におき、常にトレーニングをしているのがUNEPSです。
また現在のイラクは、軍事的な報道はありますが、人道被害の報道はほとんどありません。人道支援のNGOもあまりに危機管理が難しい現在、現場にとどまることは困難です。そんな状況であるからこそ、UNEPSの出番といえるでしょう。
しかし、UNEPSに武装集団もいるわけですから、その展開に当っては5つの前提があります。①看過できない人道被害がある場合に ②最後の手段として ③ 必要最低限の武力をもって ④正しい意図と ⑤成功の見通しをもって派遣を行うこと。またその決定に際しては国連安保理の決定、あるいは「平和のための結集」手続きに基づく国連総会決議、 または地域的取り決めによって展開の決断を行うことになります。
いずれにしても、大国の息のかかった地域にUNEPSを派遣することは困難でしょう。
しかしこの困難は、ベスト・プラクティスの積み重ねによって必ず克服できると信じます。
なぜなら今の世界にはこうした枠組みが必ず必要だからです。
しかしこの困難は、ベスト・プラクティスの積み重ねによって必ず克服できると信じます。
なぜなら今の世界にはこうした枠組みが必ず必要だからです。
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