2007年6月8日金曜日

犬塚レス2:(下)Re: UNEPS構想に賛同しますが1

Yahoo!掲示板より

集団的自衛権は個別的自衛権と並んで国連加盟国の「固有の権利」です。自らが攻撃されていないにもかかわらず攻撃主体たる他国に反撃することができるもので、国連憲章51条で創設された権利です。日米同盟に基づく集団的自衛権の行使がこの範疇に入ることはいうまでもありませんし、国際法上の権利であるわけです。ですからその行使は「安保理が国際の平和および安全の維持に必要な措置をとるまでの間」に限られますし、安保理に対する事後報告も義務付けられています。報告がないものはイラク戦争のように自衛権の行使とは認められません。つまり(個別的・集団的)自衛権の行使といえども「機能する国連」と密接に関連しています。
それなら、なおさら、その集団的自衛権を行使できないとされている9条を改正する必要があるのではないでしょうか?
集団的自衛権はつまるところ軍事同盟です。こうした同盟関係が世界を2分し最終的には戦争に導いてきたのはご存知のことと思います。日米同盟をすぐに解消せよとは言いません。しかし最終的に目指すところをイメージし、そこに向けて進むのであれば、せっかく今まで積み上げてきた解釈と日米関係を清算して集団的自衛権を認めることはあり得ません。

以降、Yahoo!掲示板のスレッドより
UNEPSが存在していれば、スレブレニツァの虐殺を止めることができたのだろうか?

UNEPSがボスニアに駐留していたら、スレブレニツァの虐殺の虐殺を止めることができたのでしょうか?

ボスニアの場合は、内戦当事者のどの勢力が悪いと一概に言えず、ある地域ではセルビア人勢力が人道に反する行為を行い、別の地域ではクロアチア人勢力が、また別の地域ではボスニア政府軍がというように、被害者加害者が入り混じっていました。

そのような状況で、一方の勢力を保護し、一方の勢力と戦うとなると、国連の中立性というものが失われることになります。

ルワンダのような状況なら、中立性が失われることは問題ないと思いますが、ボスニアの場合は、どうなんでしょうか?
人道的介入は果たして許されるのか。許されるとしたらどのような場合か。この件については「保護する責任」という概念がでてきて一応けりがついたかに思えますが、おっしゃるようなケーススタディが必要です。ボスニアの場合であれば、もっと早く、空爆という形でなく、民軍協力の国連部隊が展開していたことになります。私は虐殺を最小限に防げたのではないかと思いますが、推測の粋を出ません。やはりこれからのベストプラクティスを積み上げることで同時に法整備も行っていくことが重要だろうと思います。

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