2007年7月11日水曜日

仏リベラシオンが「日本のサムライ」として犬塚を紹介

国会閉会前、犬塚は国境なき記者団(RS: Rapporteurs Sans Frontières)加盟ライターの、ミシェール・テマン(Michel Teman)氏の取材を受けました。以下は、その取材を受けてテマン氏が仏メジャー紙の一つ、リベラシオンに提供・掲載された記事の全文の和訳です。


保護する責任を追及する日本のサムライ


クシュナーに魅せられ、より人道的政策を追求する日本の犬塚議員

2007年7月9日、仏リベラシオン紙

著:ミシェール・テマン

(※原文はこの記事の題名をクリック)

「遂にですよ」

参議院会館の318号室に民主党の犬塚直史の声が響き渡った。

「日本は遂に、国際刑事裁判所(ICC)の加盟国となったのです!」

ICCとは、ジェノサイド、戦争犯罪、人道に対する罪を管轄とする104カ国が加盟するハーグの国際法廷のことだ。

「これは私を含め、7年に及んで一緒に活動してきた人たちすべての努力の成果です。日本にとっても貴重な瞬間です」

外務官僚やNGOなど、あらゆる立場からの支援を受け、犬塚議員は今年4月27日、国会でのICC条約の批准承認を勝ち取った。だが、ある国会関係者によれば、「勝ち取られたものではない」そうだ。なぜならば、初めて犬塚議員が国会で、「日本は国際刑事裁判所に批准すべきだ」と主張したとき、その場の誰も、その存在を知らなかったからだ。つまり、議論すらされる筈のない議題だったのである。

52歳になる犬塚議員は、型破りとしか形容できない。英語を流暢に話し、フランス人の妻を持つことからフランス語も話せる。選挙があると、アメリカ方式に複数の大学で講演を行い、インターネットやブログを駆使して有権者との意思の疎通を図る。国会でも、いわゆる普通の格好はしない。ネクタイはせず、マオタイカラーのスーツを好んで着用する。

理想の発現
長崎出身の犬塚は、政治家の家系に生まれ育ったわけではない。彼は、庶民の代表であり、両親は漁業で生計を立てた。だが若き犬塚は、違う道を選んだ。アメリカの大学で経営学修士を修得したのち、彼は事業を始めた。民主党の議員として政治家を志す10年前、彼は東京ではレストランを開き、ハワイではホテルを経営していた。

転機となったのは、1995年1月17日だった。6,400人の死者と4万人の負傷者を出した阪神淡路地震が起きたとき、彼は被害状況の確認と救援の実施にかかる時間に苛立っていた。彼はそのとき、MSF(国境なき医師団)やMDM(世界の医師団)と出会った。

「彼らは憧れの存在でした。彼らは、どんなに資金がなくても、極限状態のなかで人々を救うために自らリスクを負うことを厭わないからです」

東京でコンサルタント業を営んでいたオスタン・ガエル氏とともに、犬塚はMDMの日本支部の設立に奔走する。永田町の一部の人間が「平和に貢献できる軍事大国」となることを目指すなか、犬塚は史上初の「倫理大国」となることを目指す。

真の国際貢献を目指す
犬塚が師と仰ぐのは、古き侍の教えではなく、フランス外交の新しい担い手である元医師のベルナール・クシュナー氏。議員の口からは頻繁に彼の名が語られる。クシュナー同様、犬塚は、人権を守らない国家に対抗する「保護する責任」を主張する。「日本は、誰も干渉しないことに干渉することの意義に気付くべきです」と彼は語る。

「日本はいまこそ、視野を広げなければならない。70~80年代に、北朝鮮によって日本人が拉致されたことを問題視し続けることは理解できるが、90年代に、100万人もの北朝鮮の人々が餓えによって死んでいることや、インドでは年に4万人もの子どもが誘拐されていることも忘れてはならない。日本の人々は、国境の中のことだけでなく、国境の外で苦しんでいる人たちがいることも考えるべきなのです」

2006年にダルフールを訪問してから、犬塚のこの考えは確信に至る。

「カルマの難民キャンプでは、これまで目にしたことのない悲劇や苦痛を目の当たりにしました。そこで私は、日本にはもっと出来ることがある。国連やNGOと協力して、まだまだ出来ることがあることに気付いたのです。日本は開発援助のやり方が下手です。だが経済大国を築き上げた経験がある。日本は1945年の焼け野原から経済大国になるま発展を遂げました。しかしここで止まってはならない。日本はもっと、積極的に動くべきなんです。新たな経済的、人道的規範を作り上げることが、まさにそれなのです。人権問題について帳尻外交を展開しているだけでは、もはや不十分なのです」

犬塚は国会において具体的な方策を打ち出している。紛争地や飢餓に苦しむ地域で平和貢献できる人材を育成するための「人間の安全保障センター」の創設を提唱し、参議院でこれが承認されたのである。

「たしかに、紛争の原因を根絶することは難しい。だが、紛争の犠牲者を救うことはいつでも可能なのです」

© Libération

翻訳:参議院議員・犬塚直史事務所
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