2010年4月14日水曜日

普天間問題:〔資料1〕米海兵隊・日本の自衛隊の国外自然災害対応実績


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画像:JanJan『パキスタン大地震:印パの和平プロセスの試金石』2005/10/24, IPS Japan

自然災害に対する緊急人道支援・援助活動(近々の例:ハイチ大地震)

今年1月中旬に発生し22万人もの死者を出したといわれるハイチでの大地震に際し、我が国が調査団を派遣したのは3日後本格支援に5日を要しており、その内容も調査隊4名、国際緊急援助隊24名、自衛隊の緊急医療援助隊本隊の派遣は7日後で、初回派遣規模は100名に留まりました。これでは、“Too Little Too Late” (遅すぎ、少なすぎる)という誹りを免れません。他方、米国が、地震発生後1日で文民の調査隊30名が派遣され、2日で5,000人規模の米海兵隊本隊の派遣を決めています。各国は調査終了を踏まえ救援隊本隊を2日以内に派遣したし、とくに米国は、空母や救助隊の先遣部隊、救助隊、海兵隊員、病院船等を同時に派遣しました。



この対応の質のギャップは、本来共有されるべき情報や行動について信頼のベースがないことに起因すると思われます。「自分の目で見ないことには信じられない」から、各国の先遣隊が先に入っているにも関わらず独自調査が必要なのです。つまり、各国から下ろされる情報を信用できない。妙な職人魂が邪魔して、連携が遅れる訳です。こうした各国各様の身勝手な対応で一番被害を被るのは誰か。救援の対象となる人たちです。ではこうした二次被害を防ぐ最善の方法は何か。情報と行動の連携・共有ではないでしょうか。

迅速な災害救援目的に限定された日米共同派遣に向けた条件構築を

2005年の時点で、この必要性に更に踏み込んで主張していた人たちが、米海軍・米海兵隊内にいました。防衛機関紙『Securitan(セキュタリアン)』への2005年の寄稿論文で、著者らはこう述べています。

このような被害の軽減に貢献できる常時または制度的な国際対応機能は存在しない。このため、日米のパートナーシップを継続的に強化し、人道支援と災害救援に対応できる日米共同の海上拠点展開能力が必要である。

図1:米海軍と海兵隊が参加した大きな救援活動(1990年代)

災害被災地作戦名
1990暴風チュニジア-
1990暴風アンティグアHurricane Hugo
1990暴風フィリピンTyphoon Mike
1990暴風グアムHurricane OFA
1990暴風フィリピンMud Pack
1990地震フィリピン-
1991暴風バングラディシュSea Angel
1991暴風アメリカンサモアBalm Restore
1991火山フィリピンFiery Vigil
1992火山イタリアHot Rock
1992干魃ミクロネシアWater Pitcher
1992干魃ソマリアProvide Relief
1992暴風グアムJTF Marianas
1992暴風バハマJTF Eleuthera
1993地震グアム-
1997暴風グアムTyphoon Paka
1999暴風ベネズエラFundamental Response
1999地震トルコAvid Response
2000暴風モザンビークSilent Promise

米海兵隊は上記も含め1990年代前半だけで49の人道支援・救援活動に参加しています。



(参考)「人道支援と救援活動への対応 海上拠点による日米共同覇権の将来構想」
『Secutarian(セキュタリアン)』2005年、4、5、6月号連続掲載、共著
・ウォレス・グレグソン米太平洋海兵隊司令官(現国防次官補)
・ジェームズ・ノース第III海兵遠征軍米海軍分析センター代表
・ロバート・エルドリッジ米太平洋海兵隊司令部客員研究員(在沖米海兵隊外交政策部G5次長)

日本の自然災害に対する緊急人道支援・援助活動実績

我が国の国際緊急援助隊(JDR)の実績は、1987年9月に「国際緊急援助隊の派遣に関する法律(JDR法)」が公布・施行されて以降、「広域大規模災害への対応と切れ目のない支援」を実践するべくオールジャパン体制での自衛隊派遣の対応が始まったのは、2004年のインドネシア・スマトラ沖大地震以降で、その後の実績は2件(含む未掲載のハイチ支援に留まります。

図2:自衛隊が参加した大きな救援活動(2004年以降)

災害被災地派遣チーム(数)
2006地震インドネシア医26・自264
2010地震ハイチ調3・医20・自200
※ハイチ支援に関する情報は、2010年発表の外務省資料(1)(2)《1月》、防衛省資料(1)(2)《2月》に基づく。

JDR法体制下にあっても、自衛隊の支援は早期展開能力と遠征能力に欠けているといえます。さらにいえば、日本の民生支援には人材が不足しており、意欲ある人材を支援し、育てる社会基盤の未整備がある。この両面の手当を行わない限り、日本外交の柱である「人間の安全保障」はかけ声だけで終わってしまうでしょう。しかも自衛隊は自衛隊、民生活動は民生活動として明確に分けて考えることは、本来難しいのです。民軍関係(Civil-Military Cooperation)をどのように捉え、好むと好まざるとにかかわらず、協力関係を持つことが不可欠な場合が増えています。逆に民軍関係を積極的に捉え、成功体験を積み重ねることが、我が国が提唱する「支え合う安全保障(Shared Security)」を先頭に立って実践する専守防衛の自衛隊を持つ日本の支援のありようなのではないでしょうか。


文責:参議院議員犬塚直史事務所・外交政策担当 勝見貴弘

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